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医師が主人公の映画『いしゃ先生』から闘病のヒントを探ります ー 人間性と信頼関係 ―

こんにちは、ジョニージョニーです。今回は、映画『いしゃ先生』から闘病のヒント、手がかりを探ります。

この実話を基にした映画から、良好な医師・患者関係の築き方の一端を知ることができます。

近代医療が芽吹き始めた昭和初期。舞台は地方の農村。村の診療所に若い女医が赴任してきます。しかし、誰も診療所にやって来ません。無医村だったこの村で、久しく待ち望んでいたはずなのに……。どうしたことでしょうか?

村人には、都会から来た若い女医への強い抵抗感がありました。

簡単には受け入れてもらえない若い女の先生。どうしたら良いかと思い悩みます。逆に村人からすると、異質な存在の若い女医にやすやすと命を託せないという思いが…。

双方ともに、どう歩み寄ったら良いのかわからない中、劇中で何がどのように変化していったのでしょうか。その辺を注視しながらストーリーを読み解いていくと、医師と患者の信頼関係づくりのヒントが見えてきます。

それでは。

  目次

 

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医師が主人公の映画『いしゃ先生』を探る

主人公

女医 志田周子 (平山あや

村長をしている父親の頼みで、故郷の女医になった周子。無医村だった村の初めての医師になります。しかし、都会から来た若い女医への抵抗感は強く、村人すべてから敬遠されてしまうことに。それでも周子先生は、辛抱強く、村人の心に分け入ろうと…。

 

他の登場人物

周子の父 志田荘次郎 (榎木孝明

村の村長でもあり、娘の周子を、半ば強制的に村の診療所の医師に。一方、周子に申し訳ないという思いも。

 

周子の母 志田せい (池田有希子

村に戻ってきてくれた周子を優しく見守ります。

 

周子の弟 志田悌次郎 (星野凱士(少年期))

姉の周子を慕う弟。

 

診療所の助手 幸子 (上野優華)

周子の診療所を手伝う幸子。多忙の周子の体を心配します。

 

『いしゃ先生』あらすじ

2015年製作/105分/G/日本

配給:キャンター

 

昭和10年の秋、東京女子医専を出て系列の病院で修業を続けていた周子(当時26歳)を、父の荘次郎が呼び戻しました。8年ぶりに村に戻った周子は、父が勝手に周子名義で村の診療所を立てていることを知ります。

 

周子の故郷の山形県大井沢村はずっと無医村でした。村長の荘次郎は診療所を村に作りたかったのです。周子に頭を下げる父。3年だけという約束で、周子は診療所の医師を務めることに。

 

周子は診療所を開きました。しかし、訪れる患者は一人もありません。次の日も、そして次の日も…。ただ掃除をしたり、ぼんやりしたりするだけです。

 

周子は村に出かけてみました。田んぼでお百姓さんを見かけると、さっそく挨拶します。でも様子が変です。返事もなく、むしろ何かひそひそ陰口しているような様子。

小学校では弟の悌次郎が、周子のことでいじめられています。

 

周子は往診に出てみます。村人の家を訪ね「診療所の周子です。具合の悪い人はいませんか?」と。でも、追い返されるばかり。無視されたり、陰口をたたかれたり。

 

ある日、小学校で弟の悌次郎が友達から頼まれごとを…。どうやらその子のお母さんが病気のようです。悌次郎はさっそく周子に伝えました。

 

その夜、周子は悌次郎の友達の家を訪ねてみます。しかし「おなご医者にはみせられない。金もかかる」と友達の父親から追い返されてしまいました。周子と入れ替わりに来たのは、なんと厄払いの僧侶です。

結局、友達の母親は三日後に亡くなりました。周子は医師にしか書けない死亡届だけを書くことに。

 

周子が東京の恋人からもらった球根を植えていると、母親を背負った娘が駆け込んで来ました。ついに初めての患者です。母親は気を失っています。周子は意を決して患者の胸を拳でバン!と叩きました。するとどうでしょう、目を見開き意識が戻りました。娘もひと安心です。周子はホッとしました。

 

翌日、意識の戻ったおばさんが診療所にやって来ました。笑顔で「私が患者第一号だな…村に戻ってきてくれて、ありがとさまな」と。嬉しい言葉でした。

 

翌日、待合室は患者で溢れかえりました。あのおばさんの話が村中に広まったようです。周子も大忙し。周子は往診にも呼ばれます。但し、集金はゼロ。お金がなくても診ますと周子は言っていたのです。

 

やがて季節は冬に。雪が積もる中の往診です。男の患者は急性盲腸炎でした。「ただちに隣町の病院へ」と周子。手術が必要でした。しかし男の父親は金がないと拒みます。仕方なく痛み止めの注射を打ちますが、患者の症状は悪化する一方。

 

とうとう男の父親も覚悟したのか、人足を頼みました。雪の中、患者を橇に乗せると、橇につないだ綱を20人もの人足が引っ張っていきます。しかし、患者はその途上で息絶えました。同行した周子も肩を落とします。

 

季節は春、夏と移り変わります。時々、東京の恋人の写真を見つめる周子。

そして秋へ。周子の父が、内科以外に産婦人科もやってもらえないかと周子に頼みます。周子は専門外なため、いったん断りました。

 

ある夜、子どもの母親から往診の依頼です。診察料の代わりに芋を持って。

周子が診てみると、女の子は肺結核でした。ただちに隣町の病院で治療を受けるよう説得します。しかし女の子の父親は「結核なんか出したら村八分だ。ただの風邪だ」と周子を追い出しました。

 

周子は無念の想いで女の子の家を後にし、肩を落として夜道を戻ります。すると百姓の男が周子に声をかけ「空を見ろ、北極星だ。星は誰にも嘘つかねぇ。頑張っている人をちゃんと見ているしな」と。周子は微笑み、星空を見上げました。

 

翌朝、再び女の子の家へ。隣町の病院への紹介状を父親に渡すも、破られてしまいました。幾度も訪ねますが、その度に追い返される周子。ヤギの乳を持っていったり、父親がいない間を見計らって診察したりと。やがて周子の想いを子の父親は察します。とうとう、女の子を負ぶって隣町の病院へ。女の子は入院し、やがて快復に向かいました。

 

周子の母が難産で苦しんでいます。周子にとって産婦人科は専門外。専門書を開き、なんとかしようとする周子でしたが、そのがんばりは報われず、母は息絶えました。

悲しみに沈む周子の家族。みんなを励ます周子でしたが、一番辛かったのは周子だったのかも知れません。

 

周子の恋人からの手紙です。約束の3年過ぎても戻らない周子に、一度会いたいと。

 

恋人との再会の朝、なのに急患の患者です。これまで周子に冷たい態度をとってきた男でした。ところが今は、仲間が倒れたと必死に助けを周子に求めます。結局、周子は恋人との再会を諦め、患者のもとへ向かいました。周子は往診から戻ると、恋人から贈られてきた手紙の束を封印するのでした

 

周子はこの故郷で、医師として生涯を送ることに。この村になくてはならない診療所の医師として、周子が根を張っていく姿が映し出されます。

 

後に、周子は国から保険文化賞を受けます。以下、式典のスピーチの一節です。

「私の夢は、何人も等しく医者にかかれる世の中が来ることです。なぜなら、命だけは平等だと思うからです」

 

予告編の動画

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プライム・ビデオ【いしゃ先生】ページへ

 

私の感想

舞台は昭和初期から中期の地方の山村。医療環境としては、国民皆保険にはまだ至らない時代です。一般の農民が、10割負担の病院に気軽にかかれる時代ではありませんでした。

また、一般の人の教育水準はまだ低く、村人にとっての医師は、神業を為すような存在だったでしょう。

一方、医師側から患者を見たとき、この時代は「パターナリズム」が患者対応の主な姿勢だったと思われます。

パターナリズムとは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志を問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のために良かれと思ってすることから来ている。

【引用元:ウィキペディア

 

当時は、男性であり、相応の年齢であり、権威性(身なり・言葉遣い・技量)を感じさせる医師であるなら、村人も歩み寄りやすかったでしょう。親のようにすべてを委ねられ、神業を駆使して病を癒してくれるイメージを医師に重ねがちな時代だったからです。

ところが、周子先生は、若い女性で、初めはワンピース姿で村に入り、力量はと言えば見習い上がりの医師でした。当初、村人たちが敬遠してしまったのも、やむ負えないことだったかも知れません。

 

周子先生には東京へ帰るという選択肢もありました。しかしそうはせず、村に溶け込む道を選びます。田んぼのお百姓さんへ挨拶回りをしたり、病人の当てもなく村人の家を訪ね歩いたり…。それでも拒絶され、陰口も叩かれました。しかし、熱意のある姿勢を繰り返すうち、周子先生を認めてくれる村人が現れ始めます。

 

結局、医師の人間性が、医師・患者関係づくりの要だと、この物語を観て私は感じました。女性であっても、若くても、見習い上がりであっても、患者は医師の人間性にキラリと光るものを見出し、初めて自分の命を預けられるのだと、この物語は気づかせてくれます。

 

闘病のヒントとしては

医師の人間性が、医師・患者関係づくりの要だとしても、人間性に優れた医師をどのように私たち患者は見分ければよいのでしょう。それには、意識的にでも無意識的にでも、医師が外に表す、患者へのアクション(行動)とエモーション(感情)が注目すべき点となります。

どんな感じで分かるの?…と疑問に思われるでしょう。この映画『いしゃ先生』を観た方なら、きっと良い手がかりをすでにお持ちの事と思います。また以前、記事にしました『ベスト・オブ・メン』もきっと参考になります。

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私の経験から言います。私が難病を発症して初めて入院した時のことです。1か月以上が経過し、ようやく退院の見通しがたち、最後の血液検査を受けました。しかし、あれほど順調に数値が改善していたのにもかかわらず、再び悪化していたのです。

ほんとに落ち込むしかありませんでした。40度近い発熱を繰り返していたのですが、また一からやり直しなのかと…。でもその日の夕刻、主治医が私の病室を訪ねて来たのでした。

鉄腕アトムお茶の水博士のような印象の先生でした。私のベッドわきの丸椅子にどかっと腰かけると、前かがみになって私に語りかけてくれました。きっと看護師さんから私の落ち込みぶりを聞いていたのでしょう。

それから30分間くらい先生と話しました…じっくり先生の表情、話しぶり、姿勢、その全てが真実味を得ていました。30分後、私は腑に落ちるものを感じました。一歩ずつまた歩いて行こうという気持ちになれました。

忙しい先生が自分のために時間を割いてくれ、しかも真剣に話しかけてくれたあの日のことは今も忘れられません。

 

印象深いワードやアクション

患者第1号の場面

 

娘が気絶した母を負ぶって来院。

(娘) 「先生、助けてけろ!」

(周子)「こちらに寝かせてください」

診察用ベッドに寝かせる。

(周子)「よしさん、聞こえますか?」

返事はない。周子は患者の胸を握り拳で一撃!

(娘)「何すんだ!(怒)」

(周子)「大丈夫です。信じてください」

(娘)うなづく

周子はその後も、繰り返し患者の胸を叩き続けました。

それでも意識は戻らず、周子に焦りの色が…。

(娘)「死んだのか?」

戸惑う周子。気を取り直し、再び一撃を!

よしさんの目が開いて「ここどこだ?」

(娘)涙を流し「ばっちゃん!」

 

― 翌日の診療所で ―

娘とよしさんがやって来る

(娘)「昨日は、ありがとさまでした」「ほれ、ばっちゃん」

(よし)「三途の川から、おれば呼び戻してくれたんだってな(笑)」

周子が診察します。

(周子)「あれから、おかげんいかがですか?」

(よし)「何ともね。おれはどこも悪くねぇよ。おめぇの顔見に来ただけだ」

(周子)「私の顔ですか?」

(よし)「んだ。いしゃ先生、おれば練習台にしていいぞ。どれ、ここさ寝るといいのか?」

診察用ベッドへ。

(周子)「はい」

(よし)「おれが記念すべき第一号か?」

(周子)「はい」

聴診器をあてる。

(よし)「ほぉーっ。おなごでたいしたもんだなぁ。いしゃ先生。この村さ戻って来てくれて、ほんてん、ありがとさまな」

(周子)「いいえ」「……大丈夫ですね(笑)」

聴診器を外す。

(よし)「はぁー、これで安心してこの村で死ねるっちゃ!」「おれは、死んでからまで、みんなさ難儀かけて左沢(あてらざわ)の病院まで運ばれたくねぇよ。冬は寒いべしな」

(娘)「ばっちゃん。死んだら寒いもなんもないべしさ!」

(みんな)笑い

 

おそらく、よしさんの娘は、周子先生の村人への挨拶回り、あてのない往診で村の家々を訪ね歩く姿をしっかり見ていたのです。それがために、周子先生の診療所に助けを求めたのです。

この患者第1号のシーンは、周子先生の村人への姿勢が初めて報われたシーンです。これ以後、よしさんの評判が村中に広まったのか、診療所は行列ができるほどの混み合いように。以後、息長く、この診療所はこの村になくてはならない存在になっていきました。実話です。

 

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まとめ

誰もが異質な存在には身構えてしまうものです。身構えられた側の人が、それからどうするのか。諦めるという選択肢もあるでしょう。また諦めないという選択も。その時に問われるものは『人間性』なのだと。良い人間性から生まれた言葉や行動が、身構えた人たちのこころを優しく温め、ゆっくりゆっくり溶かしていくのだと思います。こうしたことを、映画『いしゃ先生』は教えてくれました。

 

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

 

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