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映画から闘病のヒントを探る ― 見えてきたのは、互いを思いやる心の大切さでした!

こんにちは、ジョニー・ジョニーです。今回は、これまでに紹介した三つの映画『10デイズ』『わたしはダフネ』『こんな夜更けにバナナかよ』を振り返ります。具体的には、闘病する主人公を支える家族や友人など、周囲の人たちとの関り主人公のあり方にフォーカスします!

 

重い病にかかると、告知のショック、症状の痛み、身体の障害、あるいは経済的負担など、当事者は様々な辛さに直面します。その際、最も拠り所となるのは周囲の人との関りです。

 

また、日常の中で、主人公の行動を支える彼、彼女らの胸の内、心のあり方とはどんなものでしょうか。

 

三つの映画から見えて来たもの…。それは、互いを思いやること、日々の暮らしを楽しむこと、不完全さを受け入れること。この三つの要素が実現された姿を、それぞれの映画の、それぞれの各場面から知ることができました。

それでは。

 

 

 目次

 

10デイズ(原題:Pushing Dead)

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【あらすじ】

10デイズは、22年間エイズと暮らしてきたダンと、ダンを見守る人たちとの物語。

 

ポーラは、ダンの亡き恋人ケヴィンの妹。その縁から、ダンはポーラの家の一室を借りています。

ボブはナイトクラブのオーナー。そのクラブでダンは、自由に働かせてもらっています。要は何でも屋みたいな。

ポーラもボブも、ダンの大切な友人。その関りは家族のようです。

 

エイズそのものは落ち着いているダン。そんなダンの日常は一見とても穏やかそうです。

でも、心の中では、日々、エイズである自分に葛藤し続けています。

ダンは、未だにエイズであることをオープンに話せません。

 

ある日、ダンの医療保険が突然使えなくなりました。

大切な薬を入手できない事態に戸惑うダン。

エイズと生きざるを得ない境遇の中、周囲の人たちの支えを頼りに、ダンは出口を探します。

 

ダンは理想のイケメン、マイクと出会い、仲を深めようとします。同じエイズ患者のマイクとは心を許し合えると思ったダン。

しかしマイクは、エイズ歴22年のダンとは付きあえないと。…ダンはさすがに落ち込みました。

 

ダンは腕時計にアラームを設定しています。それは薬を飲む時刻を知るためのもの。ダンは言います「腕時計のアラームが鳴るたび、いつもビクついていた」。

 

そんなダンを見守るポーラとボブ。二人は、ダンを励ますだけでなく、ダンにとって耳の痛い話もします。どちらもダンを思うがため。

 

ダンの住む街サンフランシスコの闇が、時にダンを悩ませます。暴漢に襲われたり、見知らぬ少女から忠告されたり、ナイトクラブの喧嘩に巻き込まれたり。

 

アップ・ダウンを繰り返すダンに、ポーラとボブが声をかけます。また、ダンも彼らの心の痛みを自分の痛みのように感じ、思いを伝えます。そうした3人の心の通わせ合いが、この映画の見所です。

 

映画の終わり頃、ダンがポーラに話します「僕は自分と向き合うことにしたよ。自分をだましながらやっていくよ。もう、考えても仕方ないことで自分を傷つけない」。

 

 

【ポイント】

ポーラ、ボブとのコミュニケーションがダンの日常を支えます。

ダンは彼らに支えられるだけではありません。ポーラのことをさりげなく気遣うダン。自分の分身だと、猿の人形をポーラにプレゼント。ボブが奥さんと喧嘩して家を追い出されると、仲直りさせようとダンは手を尽くします。

互いを思いやる関係性をとても大切にしているダン。二人が穏やかな気持ちで暮らしているか、いつも気にかけ、気遣っています

闘病する人にとって、身近な人たちの支えはとても大切なもの。思いやりをもらうことは、闘病で疲れた心にとても沁み入ります。なので、余裕のある時には、傍にいてくれる家族や友人に、思いやりを返すことが大切。ダンのように…。

 

エーリッヒ・フロムは、人を愛する上での基本となる性質として”配慮”を挙げています。以下のようにフロムはいいます。

配慮とは相手の気持ちや立場を考えること、つまり他人に対する気遣いのことです。

配慮に必要なのは「相手が今幸せなのかどうか」という他者に対する想像力です。相手の気持ちを想像し、それに対して自分がどう行動するかを考えるのが配慮です。

フロムが重要視する”配慮”。ダン、ポーラ、ボブ、3人の関り方にも当てはまります。温もりある関係性には欠かせない、互いの思いやり、気遣い、つまり配慮ということです。

 

わたしはダフネ

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【あらすじ】

ダフネはダウン症を患いながらも、日々の生活を楽しんで生きる若い女母マリア、父ルイジと一緒に暮らしていました。ところが旅先で突然マリアが倒れます。母を失ったダフネは、父と二人だけの生活に。

 

ダフネの父は悲観論者。マリアを喪失したショック、マリアとの思い出に押しつぶされそうです。ダフネはそんな父に言います「忘れないで、私たちはひとつのチームなの!」と。

 

ダフネはスーパーの店員さん。職場ではダフネを励ます会が開かれます。「職場が死ぬほど好き!」とダフネ。

休みの日、同じダウン症の仲間とダンスを楽しむダフネ。

 

ダフネは暮らしを楽しむことで、自分のリズムを取り戻していきます

その一方で、父ルイジは亡きマリアのことを忘れられず、ふさぎ込む毎日。そんな父にダフネは「母さんに会いに行かない?」、ルイジを母の生まれ故郷に誘いました。

 

母の生まれ故郷、コルニオーロの旅へ出発した二人。緑豊かな丘陵地帯をゆっくり登りながら、他愛もない会話を交わし、互いの気持ちを確かめ合います

教会のような古い建物、湖に浮かぶ緑色のガラス瓶に母の魂を重ねるダフネ。

 

目的地の山荘に着くと、目の不自由な女将が迎えてくれました。

ダフネが席を外すと女将がルイジに「娘さんの病気が分かった時は辛かったでしょう」と。ルイジはショックだったと言い、「妻のマリアが『ダフネの匂いを嗅いでみて、私たちと同じ匂いがするでしょ』というんだ。それから娘と向き合い始めたよ。何も恐れることはなかった」と。

 

翌日、家に戻ると、ダフネは父ルイジにプレゼントを渡します。緑色の風船でした。ダフネは「これには母さんの息が入っているの。大切にしてね、中でまだ生きている」と。ふたりは見つめ合います。

 

 

【ポイント】

ダフネはダウン症を患いますが、そうした自分に軽々と”OK”を出せます。

自分を受け入れているので、心から日々の暮らしを楽しみます

「職場が死ぬほど好き!」とダフネ自身が言うように、仕事も人との付き合いも、ダフネ流に楽しみます。また、休日にはダンスに興じることも。但し、男子からの誘いには手厳しいダフネ(笑)。

突然母を亡くした後も、ダフネの暮らしを楽しむ姿勢に変わりありません。

 

幸福論で知られるアランの言葉「”幸せ”だから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」。この言葉は、ダフネの生きる姿勢に通じるものがあります。

 

またアランは以下のように語ります。

「結び目をほどく必要がある。それはかんたんな仕事ではない。誰もがよく知っている通り、怒りと絶望はまず第一に克服しなければならない敵である。それには信じなければならない。希望を持たねばならない。そして微笑まねばならない。そうしながら、仕事をしなければならない」

 

こんな夜更けにバナナかよ

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【あらすじ】

進行性筋ジストロフィーを患う鹿野靖明さんが主人公の実話です。

 

鹿野は、障害があるにもかかわらず、街中のアパートにひとりで暮らしています。時代は1990年代。障害福祉サービスが今ほど整備されていない頃の話。鹿野の一人暮らし、その自立生活を支えるのは、大学生などのボランティアたちです。

 

鹿野ボラのメンバー、医大生の田中、そして田中の恋人・美咲

深夜2時に鹿野が「バナナが食いたい!」と言い出し、さぁ、たいへんです。美咲が夜の街に飛び出して、さんざん探し回ったあげく、やっとバナナを手に入れました。

 

鹿野はボランティア達に言います「俺がわがままにふるまうのは、他人に迷惑を掛けたくないからって縮こまっている若者に、生きるっていうのは迷惑を掛けあうことなんだって伝えたいからなんだ」。

 

鹿野は障害者シンポジウムへ。

そこで、アメリカの自立生活センターを訪ねるのが夢なんだと語ります。車いすの少年の質問に鹿野は「誰かの助けを借りないとできないことだらけさ。でも、思いきって人の助けを借りる勇気も必要なのさ」と。

 

卒業シーズンは、学生ボランティアが辞めていく時期でもあり、鹿野は大学に出向いてボラ募集を開始。鹿野いわく「いつだって必死だよ」。

 

鹿野は医師から、人工呼吸器を付けるべきだと言われます。しゃべれなくなる覚悟が必要だとも…。結局、鹿野は手術を受け、声を失いました。しかしボラの美咲は、人工呼吸器を使っていても、声を出せるという訓練法を見つけます。鹿野は幾度も訓練を重ねた後に、ついに声を取り戻しました。

 

鹿野はアパートに戻りたいと。しかし、人工呼吸器があるため、24時間誰かが付いていることが必要です。さらに痰の吸引については、医療関係者以外は家族にしか認められていません。これに対し鹿野は「俺のボラは家族なんだ。その家族のせいで、たとえ死んだとしても、俺は一切文句を言わない」と。ボラの美咲も覚悟を決めます。

 

鹿野ボラたちは、街頭、大学、ラジオなどで、介助ボラの募集活動を展開します。

 

介助ボラによる支援体制を確立して、鹿野は無事に退院できました。記者からの取材に鹿野は「鹿野ファミリーのおかげです!」と、ボラみんなに向け、感謝の気持ちを表しました。

 

医学生の田中が、ボラを辞めることに。田中は鹿野と美咲の仲を疑っていました。

鹿野は田中の大学に乗り込むと、田中へ「僕の退院パーティへ来いよ。お前、何がしたいんだ?何が大事なんだ?相談しろよ、友達なんだから。本音で話せ!お前正直に生きているか?」。

 

退院パーティーで鹿野がスピーチ。

12年前に自立生活を始めてから、ずっとボランティアと過ごしてきた。毎日が戦いの日々。喧嘩したし、傷つけ合った。でも本気で向き合った。そして理解できて、分かってもらえた。毎日そばにいてくれたボランティア。みんなに出会えて良かった。ありがとうございました」。

 

鹿野はボラみんなと旅行へ。

美咲と田中は参加しませんでした。でも鹿野は諦めません。ボラに頼んで、自分が倒れたとふたりに電話してもらいます。田中も美咲も大慌てで鹿野の宿泊先へ駆けつけました。その二人を笑顔で迎えた鹿野。怒る二人に「よく来てくれたね。二人を仲直りさせたかったんだ。またボラに来てくれるね」と。

 

 

【ポイント】

映画の主人公、鹿野靖明さんは、病気による障害のため、いつも誰かに助けを求めないと生活が立ち行きません。そのことは鹿野さんにとって、自力ではどうにもならない事実です。しかし、そうした状況であっても、ひとり暮らしを決意した鹿野さん。その決意を支えるのは、自らの障害を受け入れる心。そうした思いがあるから、困難を克服していける鹿野さん。だからこそ、アパートでの一人暮らしに踏み出せました。

 

自分は病気や障害を抱えている。でも、そこそこ良くやれている」という感覚を受け入れることができている鹿野さん。こうした受け取り方を、アドラー心理学では「不完全である勇気」と呼びます。

課題(病気・障害など)が与えられれば、できることから少しずつでも始めていく。これが「不完全である勇気」です。不完全である勇気を持つ鹿野さんだからこそ、リスクを冒しながらも、ひとり暮らしという自立生活に踏み出すことができました。

 

まとめ

3つの映画に闘病のヒントを探った結果、『10デイズ』では互いを思いやる心、『わたしはダフネ』では日々を楽しむこと、『こんな夜更けにバナナかよ』では不完全さの受け入れ、以上3点が見出されました。

けれどその後、3つの映画を改めて見直してみると、各映画の主人公たちは、上記3つのポイントを各自持ち合わせているように思えてきました。

3つのポイントを匂わせる場面やセリフを、いくつも思い浮かべられます。

それでは。

 

最後までご覧くださり、

ありがとうございました。

 

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